物を減らすことに注目し過ぎると、
溜め込んだ物を家から出すことに「格闘」したり、
物欲と「戦う」ことになったり、
物は「戦う相手」と捉えられがちになるけれど、
物って、本当は自分を助けてくれる味方のはず。
例えば、洗濯機。
洗濯機がなかったら、私は毎日家族4人分の洗濯物を手洗いすることになる。
「汗かいたし着替える」「汚れたし着替える」「雨に濡れたし着替える」と、
どんどん洗濯物を増やす子どもがいるから、
1日が手洗い洗濯で終わるんじゃないか、と思えてきます。
引っ越し難民になって、洗濯機のない生活をしたとき、
4人分の洗濯物を担いでコインランドリーへ歩いていく毎日は、
ほんと疲れた。
だから洗濯機は、私の味方。
ただ、最初に買った8キロドラム式洗濯乾燥機は、
家電量販店の店員さんに勧められるままで、何も考えなかったから、
結局使いにくくて、私には合いませんでした。
自動二槽式洗濯機が、脱水しながら次の洗濯ができる、
最高の時短洗濯機で、私を助けてくれています。
でも私は、炊飯器に頼らなくても、お鍋でごはんを炊けるし、
あまり作らないけど、ホームベーカリーがなくても、
ボウルとオーブンがあればパンもピザも作れます。
物に頼りすぎず、自分で手を動かしてみる境界線は、
得意不得意もあるし、人それぞれだから、
自分の境界線は、どこだろうと、少しずつ探っていくと、
少しずつ物は減っていくように思います。
ルンバとブラーバに全部お任せ、と、
ほうきと雑巾で手を動かして掃除する、の間で、
自分はどこに着地するか。
あると便利は無くても大丈夫、と
意外と物がなくても困らないことに気づいたりします。
ここまでは自分でできる、ここからは物に頼る「折り合い」を
見つけること。
ただ、物に頼りすぎると、何と言うか「生きものの能力」が落ちて、
例えば災害が起きて、ライフラインが止まった時など、
「生きものの能力」が試されるときに、ものすごく苦労すると思います。
「生きものの能力」を使って、手を動かしていると、
洋服やかばん、雑貨といった「物」たちに、
自分の気分を上げてもらったり、機嫌を取ってもらわなくても、
毎日が楽しくなってご機嫌になってくるように感じています。
「好きな物があるとご機嫌」は、
「それがないとご機嫌じゃない」から、
物が「主」で、自分が「従」。
自分が「主」で、自分を助けてくれる物が「従」で考えていくと、
「従」である物が、シンプルな物に変わっていきます。
ブランドロゴがなくても大丈夫、とか。
人と較べない、身軽な日々に向かっていきます。
「物」が自分の適量に収束してきます。