小沢健二さんのホールツアー「月と街のAidade 」へ
娘と一緒に行ってきました。
小沢健二『月と街のAidade』 | ローチケ(ローソンチケット)
10代の多感な時期、特に高校生の頃に、
オザケンの歌詞を噛み締めながら
何度も何度も聴いてきました。
あれから30年以上経って、
当時の私と同年代になった娘と一緒に
初めて小沢健二さんのライブへ行くことが
奇跡に思えます。
彗星のように戻って来てくれて、
しかも住んでいる街でライブをしてくれて、
ほんとに嬉しい。
若い人も来やすいようにと、
「U-23」席という若者割引席もありましたが、
若者割席は一般席と離れるということだったので、
娘と並んで見るため一般席2席を取りました。
ひみつ小道具付きで、その中のひとつのタイは、
私はラベンダー色、娘はチャコール色でしたが、
娘がラベンダーの方が良いというので、
交換して身に付けました。

他のひみつ小道具も、粋で可愛かった!
周り方々もされてるからと勝手な小道具フライング使いをしてたら、
「それあとで使うから!今じゃないからね!」と
笑いながら小沢さんが言い、
それに対して「ごめーーん!」と皆さんと一緒に叫び、
「いや、まぁ、別に良いんだけどね」と小沢さんが笑う…
こんなやり取りができるなんて、
ほんとに夢みたい。
小道具もライブの余韻として大切にします。
娘はライブで演奏された曲(20曲以上あった)の中で
6曲知っていたようです。
知らない曲であっても、
音楽が格好良いから引き込まれた、
めっちゃ楽しかった~!と笑顔でした。
娘にとって小沢健二さんは、
大好きな「ムジカ・ピッコリーノ」の最終回で流れた
「ぼくらが旅に出る理由」の原曲の人であり、
大好きなスカパラが
サポートメンバーで参加してた人という認識。
懐かしいものに触れると「エモい」と言うのかな。
でも、エモいではない気がする。
娘にとっては、初めてで新しいし、
私にとっても、
単に懐かしい訳でなく、
10代の自分と今の自分が
点と点から、
繋がって線になったというか、
50代になった小沢さんも、
1990年代と今を繋いだ「現在の曲」として演奏してるだろうし、
古びない・色褪せない曲というのは
普遍性を含んでいるのだろうと感じました。
ライブ中、泣きっぱなし。
オザケンの歴史を辿りながら、
自分のここまで来た道も認められて、
今ここで同じ空間・同じ時間を
共有していることがありがたい…
ほんとに生きてて良かったと感じました。
ほんの一時人生が交差したけど、
ライブが終わるとまた日常の生活に戻りました。
小沢健二さんが今も歌ってること、
この喜びは、唯一無二のもの。
次はどうだろうか。
次があるのかな…
分からないけれど、それまでまた頑張れる。
いつも読んで下さりありがとうございます