大雨警報と土砂災害警戒情報が出ているので、
今日も小学校は臨時休校。
住んでいるところは大丈夫ですが、
学区内に土砂災害警戒区域があるので、
心配しながら送り出すより、潔く休校の方がいい。
避難勧告が出たとき、
子どもたちが荷造りを始めました。
「大切なもの」をリュックサックに詰め込みました。
本来は、非常食や着替えを入れるものですが、
子ども達は肌身離さず持っていたいものを入れていました。
(本当に避難となれば、着替え一式も詰めるように準備)
気になる中身を聞くと、
いつも一緒に寝ているぬいぐるみ達プラス、
娘はお気に入りの本、息子はグローブとボール。
ぬいぐるみは、全部もらったもの、
亡くなった祖母からもらったものもあります。
たぶん、もし無くしたとしても、全く同じものが買えるはず。
何のプレミアムもない、大量生産されているもの。
でも、そのぬいぐるみを選んでプレゼントしれくれた人が大切、
ぬいぐるみと一緒に過ごした時間が大切、
全く同じものがあったとしても、代わりにはならない、
唯一無二のものになっているのだと、気づきました。
息子のグローブも、
スポーツ店で買った、合皮の入門レベルの安いもの。
でも、毎日毎日暇さえあれば触っていて、
使いすぎて紐が何度も切れて、何度も夫が調整してきたもの。
ものって、
高価だったから大事にするとか、
レアなものだから大事にするとか、
他人目線を意識した、他人軸のものと、
他人からみれば何の価値もないかもしれないけど、
本人にとってはとても大切な自分軸のものとあり、
子どもは素直に自分軸でものを選んでいるのだなと、
今回の行動を見ていて良く分かりました。
娘がふと、
「大切なものをリュックサックに詰めたけど、
それ以外のものって、もしかして無くてもいいものなんじゃない?」と、
呟きました。
捨てスイッチは入ったままのようです、加速しそうな予感。