好き嫌いが多くて、どうしたら食べるだろうかと悩み、
本や雑誌、お料理番組であれこれレシピをチェックし、
いろいろ料理を作ってみるも、食べない息子。
今日はごはん作れないから外食しようと思っても、
お店に食べられるものがない、と帰りたがる息子。
そのうち食べるようになるよ、という夫の言葉に、
そのうちっていつよ、
作っても作っても残されるこの気持ち、いつまで続くのよと、
イライラしていました。
三食作ることが苦痛の日々、
その頃話題になっていた本を読みました。
「一汁一菜でよいという提案」
この本で、かなり救われました。
そして久しぶりに、もう一度読んでみました。
この本のお蔭で、
息子が食べそうなものを作るのをやめて、
息子が食べようが食べまいが関係なく、
安全安心な食材を選び、
手をかけずにシンプルに料理をしていこう。
私が作ったおかずを食べなくてもいい、
とりあえずお米が好きなんだから、
納豆ごはんでも、卵かけごはんでも、
ちりめんじゃこのっけたごはんでも、
好きなものを食べたらいい、と思えるようになりました。
今は、息子もときどきは私の作ったおかずを食べるようになり、
娘は食べたいものを自分で作るようになりました。
夫作のぬか漬けも日々の食卓に並ぶし、
休みの日は、夫が昼食や夕食を作ったりします。
お母さんがごはんを作る人、ではなく、
みんなで食事を共有できるようになってきました。
今回再読してはっとしたのは、
現代の私たちの生活は、ハレとケが混同していて、
手の掛かった暮らしに憧れ、高価なものが良いと信じて、
一方で当たり前にやるべきことを嫌う。
そこに矛盾と無理が起こっている、ということ。
日常である「ケ」を、
もう一度じっくり振り返ってみようと思います。