はじまりの日々

「少ないモノで豊かに暮らす」へ向かう日々の足跡

私の原点、再読

好き嫌いが多くて、どうしたら食べるだろうかと悩み、

本や雑誌、お料理番組であれこれレシピをチェックし、

いろいろ料理を作ってみるも、食べない息子。

今日はごはん作れないから外食しようと思っても、

お店に食べられるものがない、と帰りたがる息子。

そのうち食べるようになるよ、という夫の言葉に、

そのうちっていつよ、

作っても作っても残されるこの気持ち、いつまで続くのよと、

イライラしていました。

三食作ることが苦痛の日々、

その頃話題になっていた本を読みました。

 

「一汁一菜でよいという提案」

この本で、かなり救われました。

そして久しぶりに、もう一度読んでみました。

f:id:colorleaves:20200607074940j:plain

 

この本のお蔭で、

息子が食べそうなものを作るのをやめて、

息子が食べようが食べまいが関係なく、

安全安心な食材を選び、

手をかけずにシンプルに料理をしていこう。

私が作ったおかずを食べなくてもいい、

とりあえずお米が好きなんだから、

納豆ごはんでも、卵かけごはんでも、

ちりめんじゃこのっけたごはんでも、

好きなものを食べたらいい、と思えるようになりました。

 

今は、息子もときどきは私の作ったおかずを食べるようになり、

娘は食べたいものを自分で作るようになりました。

夫作のぬか漬けも日々の食卓に並ぶし、

休みの日は、夫が昼食や夕食を作ったりします。

お母さんがごはんを作る人、ではなく、

みんなで食事を共有できるようになってきました。

 

今回再読してはっとしたのは、 

現代の私たちの生活は、ハレとケが混同していて、

手の掛かった暮らしに憧れ、高価なものが良いと信じて、

一方で当たり前にやるべきことを嫌う。

そこに矛盾と無理が起こっている、ということ。

 

日常である「ケ」を、

もう一度じっくり振り返ってみようと思います。