車を手放して3ヶ月。
キーケースに大きな車の鍵がぶら下がっていたことも忘れそう。
この3ヶ月、お墓参りに一度レンタカーに乗っただけで、
カーシェアリングすら、必要ない日々。
徒歩か、自転車で、どこでも行く日々。
自転車さえあれば、どこでも行けるという喜び。
20代の頃は、1日50キロ以上走ってたし、
琵琶湖一周できる体力もあったけど、
今はもう片道10キロが限界、それでも自転車は楽しい。
仕事から帰宅した夫が、
数ヵ月ぶりの本社会議で会った方に転勤後の様子を聞かれて、
車が要らなくなったと話したら、
車が要らないとか、テレビ捨てたとか、
何故そんなに極端なのか、何故そんなにストイックなのか…と言われたよ~と
笑っていました。
ストイックに見えるのね、私たち。
ただ、要らないから、手放すだけなのに。
いつもいつも捨てるものを探しているなら、
それは「捨てること」が目的になっていて、
既に本質からずれているように思います。
こんなに少ないもので暮らせる自分は素敵、という
他者目線を気にした結果なんじゃないかな。
不要なものを手放して、
自分のやりたいことに集中する、が本質。
これは、要るか要らないか、と迷った時点で、
それは既に必要のないもので、
「高かったから」「お気に入りだから」「ブランド品だから」と、
まだ必要であるという言い訳を探している状態。
それをあっさり受け入れてさっと手放すか、
苦行のように考え続けて思考停止になるか、
決断を先伸ばしにするかで、
家の物の総量が決まるんじゃないかな。
日々、環境も自分も変わっていく中で、
今まで必要だったものが要らなくなる。
だから手放す、ただそれだけのこと。
ストイックさは必要ない。