数年前、
世間で言われてる「おいしいごちそう」って、
実は食べなくていいものなんじゃないかな、と思いました。
黒毛和牛の霜降りのお肉などを食べると、お腹が下るのです。
普段が粗食だから、
ごちそう過ぎて身体がびっくりしてるんやな、と思ってたけど、
身体がイヤって拒否して、
すぐにでも外へ出したいんじゃないかなってだんだん思えてきて、
普段から、牛肉も豚肉も、食べるのをやめました。
ガマンするのではなく、しばらく食べなかったら、
あ、別に食べなくても全然平気、と気づきました。
パンも小麦の麺なども、買うのをやめたら、食べなくなって、
意外と食べなくても平気、と気づくことを繰り返しながら、
少しずつ食生活を変えていきました。
厳しい修行をされている禅宗の修行僧さんは、
お肉もお魚も口にしない、精進料理で充分動いていらっしゃる。
人って、ほんとは、そんなにあれこれ食べなくても大丈夫な、
かなり燃費の良い生きものなんじゃないかな、と思ったりします。
食材に対して命を頂くことに感謝し、
食事を作らせて頂くことに感謝し、
作ったものを食べて頂くことに感謝する、
お料理も修行であると知りました。
作ってあげたんやからちゃんと食べてよ、というのは傲慢であると反省。
最近読んだ、白崎裕子さんの「必要最小限レシピ ー料理は身軽に」は、
はっとすることがたくさん書いてありました。
塩と塩水を駆使して、お料理するページは、
むかしの人が、毎日料理を作る中で、体得していくお料理感覚を、
言葉と写真で丁寧に伝えて下さっているようです。
あとは、焼く・揚げる・蒸す。
いろんなレシピ本があるけど、
見た目が華やかとか、加工品を使って簡単に、とかでなく、
必要最小限にして身軽になって、お料理を楽しみたい。
塩使いになりたい、ワクワクします。
本の「おわりに」の言葉に勇気づけられました。
//////////////////////////////
おいしい料理にも色々あって、
ひと口食べただけで、「おいし~い!スゴーイ!」とか、
「わ~!うまい!」というような、
派手で、分かりやすいおいしさもあるけれど、
全部食べ終わってから、「もうちょっと食べたかったな」とか、
「そういえば、さっき食べたあれ、おいしかったな」なんていう、
じんわりした地味なおいしさもあります。
ほかにも「体が楽になって温まる」、「食べても喉が渇かない」、
「懐かしい味がする」「これなら食べても安心」など、
その人にしか分からない、おいしさもあります。
だから、知らない誰かが決定した「おいしい味」を、
せっせと買って帰るばかりでは、つまらない。
こんなに大切でわくわくする選択を、
他人任せにするのは、もったいない。
「おいしい味」は自分で決められます。
それは、私たちが自分の人生を決めるのと、
少し似ている気がします。
自分の好きな味を作りましょう!